りゅーかんの高専キャリア教育論

高専生の価値、高専生のキャリアについて議論するためのブログです。

【東京高専 物質工学科 2003年卒業】【今は大企業で事業開発】

執筆:2016年1月(りゅーかん、32歳)

高専に入ったきっかけ

僕は1999年に東京高専物質工学科に入学しました。よくある思春期の話ですが、中学生の頃に「家を出たいぜ、俺!」というモチベーションで寮のある高専を選びました。もともと父が福島高専出身で、姉も航空高専に通っていたため高専の存在については知っていましたが、正直に言うと別に工学が好きなわけではありませんでした。将来技術者になりたいとか、大手メーカーに入りたいとも思っておらず、何となく入学してしまったというのが僕が高専に入ったきっかけです。

高専5年間、こうやって過ごしていました

授業・成績・卒業研究

もともと真面目キャラだった僕は 1年・2年と学科主席でした。が、寮生という濃ゆいコミュニティで生活していたからか、2年生の後半くらいから私生活をエンジョイするようになり、3年~5年の間に中の中くらいまで落ちていきました。正直、学校生活の後半では授業を真面目に聞いた記憶はありませんすみません。

思い出に残っているのは量子力学の試験で、「水素のシュレーディンガー方程式を解け」という問題があって、A4の解答用紙を表裏使い切って回答しました。事前に「出るよ」と言われていた問題なのですが、問題の規模感が大きすぎて暗記するにも計算プロセスを理解するにも必死にならざるをえません。高専の授業は途中計算も全て書かなければ正解を貰えないので、その点はかなり鍛えられたと思っています。

水素原子におけるシュレーディンガー方程式の解 - Wikipedia

部活動

中学からソフトテニスをしていたため高専でもソフトテニス部に入部しました。部活も成績と並んで3年生位から手を抜くようになってしまい、人がいなかったため部長をやっていましたが、パッとした成績もないまま終わっていきました。部活の卒業生の人達には懇意にして頂き、卒業後も合宿などで定期的に集まり人生相談をしたりしています。高専は先輩と繋がる機会が少ないので、部活の卒業生との繋がりはとても重要だと思います。

課外活動

高専3年生の時に文化祭実行委員長をやったことがきっかけで、4年生まで学生会の役員として活動していました。文化祭では「俺達の文化祭のビジョンはなに?」みたいな話をしたり各部門の予算や活動内容について話しあったりと、人脈形成や段取りの学習の場として素晴らしい体験を積むことが出来ました。4年生の時には関東や全国の高専学生会の集いなどで情報交換する機会もあり、全国の高専の友人が出来るよい機会となりました。今でもフェイスブックで繋がっている友人もおり、学生会に所属したことは僕にとってとても大きな財産だと思っています。

私生活

3年の後期まで寮生だったため、基本的に寮生コミュニティの中で生活していました。どの高専も同様ですが、寮生は異色の伝統や文化をもっており、濃くそして楽しい青春時代を過ごすことが出来ました。同期の寮生は今でも付き合いの深い友人が多く、結婚して子供ができる人が増えた最近は家族ぐるみでバーベキューを開催したりしています。

私生活全体を通して学外の人との繋がりは弱かったと思います。ここは高専の弱みというか、学校の立ち位置が独特なため高校生とも大学生とも触れ合う機会が少なかったように思います。

選択した進路とその理由

高専時代は全体的にふらふら生きていたのですが、4年生の時に読んだ『利己的な遺伝子』に影響を受け進化や生物学に興味を持つようになりました。もともと就職する強い意志も持っていなかったため、5年生の時には「進学」を選択し、生物の研究者になるためにいい大学に編入したいと思い東工大を受験しました。 

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

 

 編入試験の過去問を10年分くらい解いたところ、大体の問題が高専の教科書から出ていることが判明したため、3ヶ月位かけて昔の教科書の問題を解きまくり、無事に試験を通過することが出来ました。

その後のキャリア①:東工大学部~博士後期過程(中退)

大学では生命理工学研究科で分子生物学を学び、4年生の時から博士後期過程まで同じ研究室で研究をしていました。研究テーマをざっくり言うと「細胞分裂時に遺伝子が均等に分配される仕組みの解明」です。1つの細胞が増殖して2つになるときに、遺伝子は正確に2倍に複製され、その後均等に2分割されなければ細胞が死んだり遺伝病やガンの原因となります。細胞内にはそのプロセスを達成するための複雑なシステムが存在しているのですが、そのシステムの1部を理解するために遺伝学・生化学の様々な実験を行っていました。

博士後期課程の時には、ノーベル医学生理学賞の審査機関であるスウェーデンカロリンスカ研究所に研究留学をしたり、国際学会で研究成果を発表したりしていました。てっきり研究者になるもとだと思っていたのですが、研究社会の政治に耐えられる自信がなかったためその道を諦めて就職することになります。多くの場合研究は国家予算で成り立っているのですが、国家予算は当然限られているため予算の獲得競争が生じます。中には政治力を存分に発揮して予算を獲得する人もいないとは言えず、当時の僕はそういった「研究実績以外の予算獲得競争」の存在を許せなかったのです。今思えば浅はかというか、社会ではそんなものあって当然なので安易な決断をしてしまったと思っています。「何事も継続が大切なので、簡単に諦めない姿勢を持って欲しい」と、当時の僕に言ってやりたいです。

その後のキャリア②:SEOコンサル会社(SEOディレクター)

そんなわけで博士3年になってから就職活動に勤しむことになりました。もともと博士の就職は厳しいということは知っており、特に生物学の研究者なんて企業のニーズは殆どありません。どんな企業に行くべきかなど、全くの0ベースで考えていくことになったのですが、たまたまアカリクという大学院生専用の就職支援エージェントを見つけ相談し、結果として良い企業に巡りあうことが出来ました。

acaric.jp

エージェントの人と話した結果「りゅーかんさんはベンチャー向きですね。大企業は向いてません。」とはっきり言われ、そこで日本のベンチャー企業に初めて興味を持ちました。それまでベンチャー企業と言われたら「Google」「Apple」レベルの企業しか想像出来なかったのですが、日本にも新進気鋭のベンチャー企業は沢山あるということを知り、そういった企業に入るのもありだなと思い始めました。そして、アカリク経由も含め幾つかの企業の説明などを聞いているうちに、最初に入ることになる企業の説明に共感し応募しました。ちなみにその頃持っていた信念は「社会人として、企業を通して社会に大きなインパクトを与えたい!」というもので、今思うと「インパクトって何?」って感じですが当時は壮大な何かを追いかけようとしているようでした。

 

1社目に入った会社は創業3年目のベンチャーで、社員も35名程度の小さな会社でした。主要な事業SEOコンサルティング事業で、「Aさんが何かを検索した時に任意のサイトが上位に来るように」仕込む仕事でした。

検索エンジン最適化 - Wikipedia

僕はSEOディレクターという、営業の人が受注したサイトに対してSEO視点で改善案を提案するポジションで働いていました。当時は会社が急成長している時期で、毎日18時間くらい働いて死にそうでしたが充実はしていて、僕は入社半年でリーダー/マネジャーのポジションになり、10名程度の新卒メンバー(というか同期)を率いてディレクターチームを運営する仕事を任されました。会社も年間2倍以上の速度で売り上げが伸びており、何となく「インパクトある仕事してる!」感はあったと思います。

それで、ふと気づいたんです。SEOコンサルは月額50万円程度だったのですが、SEOの効果でクライアントの利益が月額50万円伸びることは殆どないようでした。そもそも効果が出るまで時間がかかり、効果自体も保証されないのがSEOなんですよね。しかも、既存のサイトはシステム構成やDB設計が固定されているため、提案しても実現できない施策も多々あります。当時結婚していたことも影響し、「100万円頂いた時に100万円の利益を提供できないサービスってなんだろう?」と自問自答し、その他にも色々なことがあり転職することになります。

ちなみに当時は業務効率化に相当力を入れていました。毎日午前様で働くことに対して「人としてどうだろう」と思っていて、自分のチームのメンバーにはもっとクリエイティブな人生を歩んで欲しいと思っていたからです。手法としては、「毎日30分単位で仕事のスケジュールを提出させ、毎朝毎晩予実の確認を全員で行い相互フィードバックを実施」「22時(遅いのですが…)には強制的に帰宅させ、残りの仕事は僕がやっておく(そして悔しがらせる)」などの仕組みでチーム全員の生産性を高めていきました。最終的には「Googleには20%ルールがある」と言って「金曜日は通常業務禁止」というルールを作り、月-木で通常業務を終わらせ金曜日は自由にプロジェクトを立ち上げてよい制度を作りました。生産性に対する意識の高さはこの時期に育まれたと思います。

その後のキャリア③:インターネットメディア会社(メディアプロデューサー)

1社目で2年と3ヶ月働いた後、当時マザーズに上場を果たしていた会社に事業責任者として転職しました。「最高のメディアを創る経験をしたい」という動機で転職活動をしていたのですが、たまたま2社目の社長が共感してくれたのがきっかけです。当時1社目にいた会社の転職市場価値が高かったことも幸いしキャリアアップを図ることが出来ました。

2社目では賃貸ポータルサイト(SUUMOとかHome'sの様なサイト)の運営を任されました。メディア企業らしくエンジニアやデザイナーが従業員の6割程度を占めており、インターネットメディアの作り方や制作/開発陣との関わり方について大いに勉強させて頂いたことを覚えています。事業責任者とはいえ小さなチームでサイトを運営していたので、「財務」「人事」「ウェブプロデュース」「営業」「契約/規約作り」「請求処理」など広範囲の仕事をやらねばならず、地味に大変だったものの主体性をもって事業運営が出来るよい環境でした。

思い出に残っているのは、転職直後に事業のビジョンがないことに気づき、「ビジョン作りますね」と社長に言って6人くらいのメンバーで3ヶ月かけて「事業理念/行動理念」を作り上げたことです。日々の仕事を遂行する上でのビジョンの重要性については是非が分かれるところですが、僕自身は「ビジョンなくして働く意味が分からない」というスタンスです。「事業理念/行動理念」を作成した結果、チームの相互理解が深まったとともにサイトのデザインや仕事の意思決定における一つの「ものさし」としても機能したので、いまでも正解だったと思っています。

環境がよかったからなのですが、僕が担当した事業は在籍前後で5倍成長しました。しかし、大手ポータルサイトの調査をするとその何十倍もの規模であることがわかり、そこに追いつき社会を変えるほどの事業になるには大きな変革が必要だと気づきました。その後、新規事業の提案をしたりしていたのですが、実力不足もありなかなかうまく進まず、その他にも(正直言って気に喰わないことが)色々とありました。結果として「大企業で同じことをした方が社会的影響が大きい」と思うに至り現在の会社に転職することを選びます。

僕は本当に「今、何かを変えたい!」という気持ちに流されやすく、継続して粘り強く活動することが不得意です。「社会を変えたい」「世の中を良くしたい」と思う人には、粘り強さがとても重要だと言いたいと思います。

その後のキャリア④:大手情報流通会社(事業開発)

そんなこんなで、2社目で1年半程度働いた後に3社目の現職に転職することになります。転職のタイミングは再び良く、2社目の市場価値がこれまでで最も高い時期に転職活動をしたため、また、「SEO」「メディアプロデューサー」「事業部長」などの経験が重宝されキャリアアップ(企業規模と年収共に)を図ることが出来ました。

今の会社では2年半働いていますが、最初の2年間はメディアプロデューサーとしてサイトの改善や事業提案などをしていました。その後事業開発室に異動し、今は「賃貸業界をもっと素敵にする」ための事業開発を行っています。巡り巡って前職で提案していた事業企画の実現に邁進しており、人生におけるご縁の大切さを感じる日々です。

色々なことがあり転職を重ねてきたのですが、各企業で体験した様々な仕事を通じて得られたスキルやスタンスは今の仕事に大いに役立っています。大企業は仕事の進みが遅いというか、「やってよし!」という承認を得るまでのプロセスが長くイライラすることもあるのですが、これまでの反省を受け「気長に粘り強く、自分のやりたいことを実現するために働く」ことを意識して頑張っています。

私の考える「高専の価値」

さて、僕のキャリアやスペックは典型的な高専生とは著しく異なっているように見えます。製造業で働いていないし、技術者でもない。一方、英語は喋れるし、意外と社交性が高く、どちらかというとその辺の大学生により近いと言えるかも知れません。

でも、僕は自分のことをとても高専生っぽいと思っています。専門性や技術といったことの前に、「工学的な物事の考え方」「バイタリティの高さ」「正義感の強さ」が僕の考える高専生の特性だと思っていて、その上に技術や専門知識が乗っかっているだけだと思うのです。よくある話ですが、学校で学んだことが直接社会で活きることなんて殆ど無いわけです。でも、学校で培った志向性や原体験は、社会生活においても強く影響するんですね。だから、僕は高専生の価値は高専で育まれた考え方や動きの軽さだと思っていて、そういった意味で自分は非常に高専生っぽいやつだと思っています。

学生に伝えたいこと

僕が学生のみなさんに伝えたい事は先ず、「みなさんは非常に優れた人間で、そして非常に優れた教育を受けている」ということです。もしかしたらみなさんは大学生や院生に対して劣等感や未熟感を持っているかも知れません。でも、経済協力開発機構OECD)という国際機関によると、高専は日本の中で最も充実した教育が施されており、世界的に見ても優れた教育機関であると評価されています。高校生や大学生を始め社会に触れる機会が少ないから気づかないだけで、みなさんは実はすごいんです!それを忘れないで下さい。

http://www.kosen-k.go.jp/letter/kouhou/50nenshi_03.pdf

そしてもう一つ。これからの社会は人口オーナス問題の影響でキビシイ局面を何度も迎えます。みなさんが働く頃には「働きながら親の介護」なんて当たり前になるし、税金も高くなるし、年金はもらえないかも知れません。げんなりしますね。でも、一方でみなさんはそれをより良い方向に変えるべき人間のひとりでもあります。日本で最も優れた教育を受けているんですから、当然その責任があると僕は思います。だから、世の中の常識にとらわれず、自分の想いやアイデアをどんどんぶつけて、いろんな挑戦を積み重ねる生き方をして欲しいと、個人的には思っています。

これからの日本は、これまでの重厚長大な産業に立脚する時代から、改めて新たな産業を生み出す創造の時代に入っていきます。その時に最も重要なのは自由な発想と確かなスキルを持った人材の育成と活躍で、みなさんはそういった人材集団の中でも特等席にいると僕は思っています。勉強は面倒くさいし大人はウルサイしなんだかなーと思う時期だとは思いますが、心の何処かにそのことを秘めておいてくれたら嬉しいです。