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りゅーかんの高専キャリア教育論

高専生の価値、高専生のキャリアについて議論するためのブログです。

高専の成り立ちと教育機関としての立ち位置の変遷

高専(正式名称:高等専門学校)は、中学を卒業してから20歳まで、5年間の一貫教育を受けることができる学校です。技術者(エンジニア)の早期育成が主な目的とされており、5年間の教育で大学卒業程度の知識と技術力が身に付くと言われています。国立を中心に全国57校が運営されています。教育基本法では「高等専門学校は、深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成することを目的とする。」とされており、必ずしも技術者育成だけが目的ではありませんが、高専の成り立ちを調べると、技術者育成機関としての重要性が明らかになります。

高専の前身:中堅技術者を輩出する高等工業学校

高専は1962年に設立された教育機関ですが、役割上の歴史としては戦前の高等工業学校に遡ります。

明治以降の日本は欧米各国と肩を並べるために工業(特に重工業)の発展に力を入れていました。技術者教育の歴史もそれに沿う形で発展していきます。当時の技術者は「技師」「技手」「職工長」の3段階にランク付けされており、それぞれに対応する教育機関として「帝国大学工科大学」「高等工業学校」「工業学校」が存在していました。この時の高等工業学校の役割、つまり中堅技術者の育成が、後に高専が担う役割となります。

昭和に入ると、高等工業学校の1部が大学に昇格したり(東工大、阪大工学部)、私立大学が設立され大学卒業者数が増加したりと、教育機関としての大学の存在感が増してくることになります。大学卒業生が非常に少なかった時代からこういった変化が起こることにより、長い目で見ると中堅技術者育成機関(後の高専)の立場は相対的に低くなることが運命づけられていたのかも知れません。同時に、『精密工業においては技師と職長は多く必要とされるものの技手はあまり必要とされない』という産業界の意見もあり、技術者ニーズという面からも中堅技術者育成機関である高等工業学校の立場は微妙なものとなってきました。

戦後の学制改革高専の誕生

戦後になるといわゆる「6・3・3・4制」の(アメリカ型)教育モデルが導入され、それに合わせて既存の教育機関を整理する作業が始まりました。産業界からは、「中堅技術者ニーズの増大」「中小企業(地域社会)の技術者ニーズ増大」という要望が明示されるようになり、学制改革により失われた中堅技術者育成機関が切望される様になります。この要望が紆余曲折を経て実現したのが高専となります。

様々な議論を経て、1962年に高等専門学校が設立されました。設立時の法律には「高等専門学校には工業に関する学科を置く」と明記されており、産業界の中堅技術者ニーズに応える形で誕生したことがわかります。本来であれば日本の中堅技術者育成機関として発展するはずだった高専ですが、一方で、同時期に理工系大学生や大学院生の育成強化も始まりました。つまり、技術者の総数が一気に増大するとともに、相対的な高専のシェアが低下することになりました。

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※天野郁夫先生(東京大学名誉教授)の講演資料より

現代の高専の立ち位置:社会の変化とこれからの高専のあるべき姿

 設立からバブル期まで、高専は社会のニーズを満たすべく大量の中堅技術者を大手メーカーを始めとした製造業界に送り出してきました。しかし、その間に大学生及び大学院生の工学科卒業生が倍増し、高専卒業生のシェアが低下するとともに、技術者階級ではなく学歴による階級が社会に浸透してきました。即ち、昔の技術職は「技師・技手・職工長」の階級だったものが、今は「(博士)・修士・学士・(準学士)」の学歴による階級に置き換わってきており、その中で高専のプレゼンス(役職・年収)は相対的に低下していると思われるのです(この点は要検証)。

また、中国インドを中心としたアジア各国の経済成長を背景に、単純な技術者の役割は能力的に同質で且つ人件費の安いそれらの国に代替されるようになってきています。例えば、ソフトウェアエンジニア業界では日本でもオフショア開発が当たり前となりつつあります。つまり、生産ラインの技術者はグローバル化の中でより人件費の安い国に取って代わられるリスクが高く、高専(というか日本の工学系)卒業生も単なる技術屋さんというだけでは食べていくのが厳しくなっていると思われるのです。この点については、今は顕在化していなくても今後10年の間に必ず起こる現象だと思います。

さて、そういった21世紀のトレンドの中で、高専はどのような役割を担っていくべきでしょうか。ある意味で設立直後から危うい立場に居続けた高専なので、今後の発展のためには自らの定義を1から見直すべきなのかもしれません。