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りゅーかんの高専キャリア教育論

高専生の価値、高専生のキャリアについて議論するためのブログです。

【小山高専 機械工学科 2007年卒業】【世界中にデカイものを納めます。最適な製造設備、工場の建設】

執筆:2016年3月(29歳

はじめに

工業系の学校を出た人は皆メーカーに勤める」とお思いの方がいらっしゃるかと思います。そんな方には是非この記事を読んで頂き、世の中には色々な職種があることを知って頂きたいと思います。私がこの記事を書く一番の目的は、それを伝えることです。

いま、私はエンジニアという職種に就いています。日本語のエンジニアリングを直接説明できる単語はないそうですが、使い勝手がいいので一般的に技師や技術者をエンジニアと呼んでいるようです。私が働いている会社は、世界中(勿論国内も)にある原油、鉱石といった原料を持っている企業(お客様)に対して、原料をより高く買い取ってもらえる石油製品や金属原料にするための設備(一般的にはプラントといいます)を建設する会社です。

どのくらいの規模、金額、期間で建設できるのか、見積りをパートナーの設備メーカーや工事会社からかき集めて提出し、お客様から案件を受注すると詳細な設計を行い、予定を立て、人とプラントのパーツを世界中から集めて建設を行い、お客様が運転できるまで試運転と運転のお手伝いをします。プラントは安いものでも数十億、高いと一兆円を超えますので、色々な業務を経験することができます。

私はプラントの中で、金属でできた成分を分ける蒸留塔や、圧力に耐える容器の設計をしています。設計が終わったら、実際にそれを作ることのできる重工さんや鉄鋼屋さんに建設をお願いして、現場に赴任して機器を据え付けるまでの工程を管理します。現場では何km2もの広さを移動するので車や自転車が必須です。また、現場で働く人が1日で2000人を超えることもあり、お客様や職人さん全てを含めると数万人の人と一緒に一つのプラントを組み立てるという、全てのスケールが大きい世界にいます。
ここまで読んで、技術系というのも研究、開発、向上だけではなくて、商社や営業みたいな仕事があるということをわかって頂けたら嬉しく思います。工業系はメーカーさんだけが就職先ではありません。

高専に入ったきっかけ

小さいころから車やロボットが好きで、こういうものをいじれるような職業についてみたい!、という単純な考えで選びました。やりたいことが決まっていたとはいえ、ずいぶん簡単に決めてしまったと思うこともあります(笑)

高専5年間、こうやって過ごしていました

学校生活・授業・成績

入学してすぐに髪を染めました。私の学校は私服、服装の縛りがなかったのでピアスしている人もいたし、バイク、車通学も認められていたので周りから見たら少々ガラがわるかったかもしれません。髪を染めてバイクを乗り回していたので、地元の人からは何しているのかと思われたと思います。大丈夫、ちゃんと学校いってましたよ。

入学当初の成績は下の方でしたが、そこそこ授業はちゃんと受けていたので5年の間に中の上に入るようになりました。赤点が60点でしたが、特にボーダーラインにのることもありませんでした。先生に聞けば教えてくれるので、勉強でそこまで苦労することはないと思います。一方で、教科書の問題レベルが松竹梅揃っているので、高みを目指して頑張れば5年間の間に大学卒業レベルの理系学力がつけられます。

部活動

吹奏楽部に入ったり、水泳部に幽霊部員としていたりとふらふらしていました。ロボットコンテストの手伝いもしたりしました。色々突っ込んでしまい、あまり真面目ではなかったかもしれません。

課外活動

文化祭実行委員会と学生会に5年間通して関わっていました。組織の中でそれぞれの仕事をまとめていく作業はなかなか面白いものがありました。先輩も22歳までいるので、車を出してもらって遊びに行ったり、文化祭の仕事を一緒にしたりと幅広い付き合いが出来ました。また、全国の高専の集まりに出席したりして、全国単位で友達を作ることも出来ました。
一方で、私は他高校生との繋がりがあまりなく、地元、バイト先の友達くらいしか同年代と触れ合う機会はありませんでした。普通の高校生活に対して高専生は憧れをもつことがありますが、外界に触れる機会がない、男女の人数比率がおかしい、などによるところがあるか知れません。

卒業研究

5年の卒業研究は蒸気爆発の発生条件の研究をしていました。研究だからと言って、なんでも自分でやるのではなく、先生に相談をして方向性と必要なものを決めてからやるので、そんなに苦労をするような感じではありませんでした。

私生活

休日はバイクで山にツーリングしていました。とにかくバイクが好きなので、それだけでかなりの時間を使ったと思います。平日はほとんど文化祭実行委員会と学生会に入り浸っていたので、それを軸にいろんな高専の人と遊んでたりしました。関東高専のひとたちと徹夜でカラオケしたり、皆で遊びに行ったりしていました。
それ以外の記憶は、教室のプロジェクターを使って徹夜でゲーム大会をしたり、年末に中学の同級生と集まって年越ししていたくらいでした。濃い付き合いができたので、思い出がそこまで多くなくても充実していたかなと思っています。

選択した進路とその理由

進学するか就職するかで迷いましたが、親のひと押しもあり大学へ進学することにしました。ここで特筆すべきなのは、5年まで行くと2年、専攻科まで行くと4年学費が大学より安く済むことです。お父さん、お母さん、短大、大卒資格を安く取るのに高専はおススメです。 

その後のキャリア①:豊橋技術科学大学~大学院

豊橋技術科学大学に進学しました。高専生を多く受け入れる大学が日本には2つあります(豊橋と長岡)。周りの人達も大体高専生なので、授業が少々つらかった以外は高専と何ら変わりありませんでした。さすがに一日5科目暗記しなくてはいけないテストが並んだときはしんどかったです。私生活は相変わらずのバイク乗り。ずっと山に海に走りに行っていました。

大学のときの研究テーマは噴霧衝突。エンジン内部でうまい具合に燃料を噴射するにはどのような噴き方がよいのかという研究をしていました。

大学卒業後は豊橋技術科学大学院に進学しました。これは「行っておいた方がいい」という親のおかげで進学することができたと今では思っています。大学院では研究テーマが変わり、絶縁流体に電気を無理やり流し、その力で駆動部のないポンプを作るという研究でした。

その後のキャリア②:プラント建設会社(エンジニア)

就職してすぐに取りまとめの部署に配属されて、パスポートを取らされて7月に押されたハンコはバーレーン、30分後にサウジアラビアでした。サウジは観光ビザがないそうで、初めての海外体験はなかなか刺激的でした。戻ってきた後は震災関係の復旧工事で岩手県へ9か月ほど。日本でも、海外でも工事や契約書の書き方、読み方、そして人とのコミュニケーションが本当に大切だと思い知らされました。その後もタイに行ったり国内で外国人と仕事をしたりと、昔のメーカーを目指していた自分からは全く想像できない、けれどもすごく楽しいと思える生活を過ごしています。

私の考える「高専の価値」

親御さん的に言うなら、大学数年分を安く通える、就職先がやたらといいというメリットがあります。頑張って狙えば日経平均の会社は結構入れます。諸先輩方の会社における頑張りの賜物ですね。
学生的に言うなれば、高校生から既に学生と称され自力で何かをすることを求められる代わりに、自分の力でやりたいと思うことを自分の力で行うことができる、産学連携で会社の人と一緒に第一線の研究をする機会を得られるかも知れない、などでしょうか。

自由の意味を履き違えされしなければ、生き生きと生活できる環境です。

学生に伝えたいこと

高専に入ったからと言って、別に技術系に就職する必要はありません。

あなたが学んだ理系の知識は、「物事を順序良く理解するのに便利かな?」といった程度で考えれば、色々とキャリアの選択肢が見えてくると思います。やりたいことをあきらめる必要もありません。頑張れば大抵何とかなります。
ただ一つ釘を刺させて頂きたいのは、「理系ほど英語力を必要とされる」ことです。残念ながら私は英語があまり得意ではありませんが、理系の世界では論文は基本的に英語、研究内容の発表も英語、留学生が英語しか話せないってこともあります。就職してからもきっと出張やプレゼンで英語を強いられるでしょう。あなたが思っているより、今の世の中理系のほうが英語って使われているかもしれません。