りゅーかんの高専キャリア教育論

高専生の価値、高専生のキャリアについて議論するためのブログです。

【一関高専 機械工学科 2006年卒業】 【今は有機農法×除草ロボット開発×SNS展開で農業の未来を考えています】

執筆:2016年5月(30歳)

今やっている事

  • 有機農業現場検証
  • 有機農業における自走式除草ロボットの研究開発(産学官連携、コーディネーター)
  • 地元の農協青年部、SNS展開担当

はじめに

まず、私の記事をご覧頂きありがとうございます。ブログの性質上、私の人生の過去の話に終始していますが、大切なのは未来の話です。それについては、フェイスブック等でりゅーかんさんを通じて読んで頂いた皆さんと、これから交流していけたらなと思っています。よろしくお願いします。

高専に入ったきっかけ

  • 週休二日制だったこと
  • 実家を出たかった(寮生活へ)
  • プログラムに興味があったから(機械科を希望したが、本当は制御情報科志望)

中学3年生、14歳の田舎の少年が考えた進路なので、今思えばなぜその判断だったのかよくわからないところもあります。当時はおぼろげながら「高校に行って、大学に行って」と考えていましたが、「不況により大学に行かせられない」と母親から衝撃の通達を受けます。その頃のニュースでは大学卒業者の就職率が60%となっており、高専の就職率100%という文言が心に響き、当時の中学の担任や、母親の反対を押し切って高専に進学しました。先生の「高専に入ったら、卒業後の進路は工業系しかないんだぞ?」という言葉が後になって人生に大きく影響してきました。(機械科か制御科かという判断も含め)

高専5年間、こうやって過ごしていました

授業・成績

入学して一番初めのテストの順位がクラス40人中31位で、数学は33点(赤点)で追試を受けることに。近くの進学校に通っていた同中だった女の子にこの話をしたら、以後仲が疎遠になりました…。

2年生の時に高専に入ったことをえらく後悔し(物理のテストを本気で受けて0点)、3年生から心機一転勉学に励む(が、やっとの思いでクラス40人中16位)、4年生からは専門科目に熱中(水力や熱力が好きで、材力が苦手だった)、という紆余曲折を経て、5年間トータルの成績は中の下くらいでした。

部活動

入学当時の担任の先生の勧めで中学でもやっていたソフトテニス部に入るも馴染めず、2年初頭に引退しました。今思えば、色んな部活があったのになんとなく過ごしてしまったなと、少し後悔しています。(運動苦手なのに運動部に入りました。なんとなくでした。)

課外活動

本科5年間で自分が唯一達成感を持ったのが寮生会活動です。2年生の時、自分の行く末を案じた?同級生の計らいで寮生会に入りました。その後、3年生では管理委員長となり、自分の権限が届く範囲で思いつく限りの活動を興しました。新たにゴミの分別や古紙回収に取り組み、これが後の指導寮生(4、5年生)立候補に繋がりました。ですが、今思い返してみると(自分一人で突っ走った面も多々あったので)若かったなーと恥ずかしい気持ちになりますね。

卒業研究

念願叶ってVBAを用いたプログラミングでシステム開発を行いました。今思えば稚拙な内容ではあったのですが、高専入学当初の目的を達成しました。研究室には専攻科生の先輩が3名いまして、この出会いがきっかけで僕の人生が動き出します。多大な刺激を受けました。週一開催のゼミが良かったですね。

私生活

中学当時好きだった女の子と偶然にも一緒に高専に進学していまして、科は違ったのですがわずかながらやり取りがあって、私生活の励みになっていました。あとは前述の寮生活ですね。普段は何かと時間を持て余していた印象です。文庫本を読み漁ったりもしました。

選択した進路とその理由

その後のキャリア①:一関高専専攻科進学

本科4年生〜5年生にかけて、就職か、進学か、自分の進路を判断する決め手がなく、一関高専専攻科と公務員試験を何件か受けました。結果として専攻科に進学したのですが、あまり目的はなく、今振り返れば怠惰な2年間を過ごしました。でも、自分の人生について答えが見つからないものの真剣に悩んだのもまたこの時期でした(人生においてここまで一人の時間が多くなったことがなかった)。この時期に大変迷惑をかけた方々、本当にごめんなさい。そしてありがとうございます。人生の迷路は続く。

その後のキャリア②:大学院進学(長岡技術科学大学大学院 経営情報システム工学専攻)

これからの技術者は経営もわからないといけない!という講演会や、大学院を目指したら?という専攻科進学直後の他専攻教授のアドバイスが心に響き、結果として大学院へ進学します。念願叶って情報系に進むものの、2年間で研究成果を上げることができず苦しみました。後から聞いた話ですが、自分に大学院進学を勧めた教授は、今までの専攻である機械系に行かなかったことを危惧していたそうです。
長岡技大の講義は非常に面白いものが多く、他専攻や学部の授業にも顔を出したりしながら熱心に取り組んでいました。今でも自分の人生において参考になる、生かせる学術・マインド・考え方を身につけることができました。

その後のキャリア③:25歳を目前に、人生初の就職

ここまでの自分の人生の中で、世の中の仕事についてあまり深く考えたことがなく、内定は頂いていたものの、本当にここでやっていけるのか?という極度の不安と、大学院で自分の研究を思ったよりうまく進められないことなどが重なり、生活のリズムが大きく崩れました。その結果、自分の成すべきことを果たすことができず、地元に戻り、人生の再建を目指すことにしました。3ヶ月の就職活動を経て、地元の光学レンズ製造工場に就職します。

その後のキャリア④:人生の転機

光学レンズに金属を薄膜蒸着させるという作業の現場で、懸命に仕事に食らいついていました。工場に勤めて2年ほど経過すると、再度自分の今後の人生について考え始め、今までの自分の概念の外の世界、世の中について勉強し始めます。(当時はmixiがきっかけで)いろいろなところに顔を出し、様々な世界観を知ります。加えて同時期に、母方の祖父の介護支援問題が噴出し、自分が面倒を見ることになります。家庭の問題、仕事上の問題、自分の人生の問題について難題が重なり、体調を崩し休職。一時は職場復帰するも結果として退職。その後いろいろな制度を利用させて頂いて、なんとか生活をおくる状態でした。そんな中、自宅が兼業農家だったこと、前職に就いていた頃から野菜づくりを始めていたこと、地元農協で青年部を募集していたことなどの経緯から、農業の道を志し始めます。

その後のキャリア⑤:有機農業の道へ

1年間農協の制度を勉強し、いざ始めるか!というところで有機農業に出会います。農薬を一切使わないその農法、熱意に感動し、有機農家に弟子入りすることに。この出会いのきっかけであった農業の研究機関とは現在もやりとりがあり、有機農法における除草ロボットについて研究を進めています。ここに来て機械科時代の知識、研究生時代の手法を総動員するご縁に恵まれています。これらを思い出しながら、懸命に自分の人生に取り組んでいるのが今の私です。

私の考える「高専の価値」

全国の高専を把握しているわけではないのですが、一関高専と自分の地元を例にとってみると、それなりのハードルをクリアしないと入ることのできない所なので、興味がある又は確固たる人生目標があって、高専のカリキュラムを活用しよう!という方にはもってこいの学校だと思います。入ってみると結構兄弟で入学するパターンも目にしました。

それなりに歴史を重ねてきているので、昔〜現在を一概には言えないと思うのですが、その世の中の節目節目に合わせた、柔軟な教育システムをとっているなとは感じます。何より、学生・教授、関係者の方々がそれぞれ自分の分野に関して熱心に取り組んでいるので、本科卒業後も何かとお世話になることもあるのが、ある意味高専の価値ではないかなとも考えます。

学生に伝えたいこと

今現在の学生に向けてというと、なかなか的確なアドバイスはできないと思うんですが、イメージとして素直な学生が増えてきたなと感じています。学業のレベルも、ひと昔前と比べたら格段に上がっているのではないかと思います。それが本科卒業後の進路にもかなり影響していると思います。僕の周りにも、大学院博士課程に在籍していたり、博士号を取得し、研究機関に勤めている者もちらほらと出てきました。

自分が在籍していた時の先輩の話の中で、仕事として就職した後、転職していたりして工業系以外に進んでいる方もなかなか多かった印象です。ですが、自分の同期の10年後を見てみると、今はやはり自動車関係(日産、ホンダ、トヨタ)に進んでバリバリやっている人は、20代半ばで家庭を築き、順風満帆な人生を送っているように映ります。
どんな人生を送るかは、自分自身で考え決断することですが、僕が一番伝えたいことは「今、世の中で起きている事を自分なりに考察する」という事です。現代ではインターネット環境の驚異的な進歩もあり、種々の情報が溢れています。今回、このブログ記事を執筆しようと決断した事も、自分が普段世の中について調べ、考察している事を発信し、交流する場を見つけたと感じたからです。これからの世の中は激動の時代ですが、我々高専生の活躍の場は多様にあります!皆さんと一緒に、より良い世の中を目指していきましょう。